あの頃
先日、東京で仲良くしてくれてた友人が出張のついでに立ち寄ってくれた。
ふらっと。
約3年ぶりだった。
短い時間の中、たくさん話をした、ような、話してないような。
彼と話す内容に子どもの話が出てくるようになったくらいしか、変化を感じなかったけど、
でも、あの頃とは、少し違う。
お互いに価値観が変わってきてるんだなぁ、と。(悪い意味ではないよ)
3年ぶりに彼を介してあの頃に再会した。
あの頃、彼を含めたみんなと前を見て、希望や未来を語ったり、胸を痛めたり、もがいていた。
今も、みんなやあの頃と感覚的な違いはないように思うけど、あの時間に戻りたいとか、そこにありたいとか、そういう感情が減っている自分に少し驚き、少し寂しくも思う。
(離れた数年は無意識だけどあの頃を引きずっていたと思う)
あの頃に再会した今の私は、
みんながそれぞれの自分としての道を歩みながら、時々、歩みを揃えながら、長く長く繋がっていたいと、そう思った。
ふらっと立ち寄れるみんなでいたいと思った。
それが楽しいなぁと思った。
ゆったりと始まる今日
ゆったり朝ごはんを食べれるって幸せ。
気持ちが整う。
学生の頃じゃ感じなかった朝ごはんの時間の必要性を年々感じている。
パン屋さんなどのモーニングも好き。
(写真傾いてる…)
そうはいっても、なかなかゆったり時間を捻出できないなぁ…
と、ぼやーっとしてたら、ゴミの日だったことに気づき出しそびれた。泣。連休ボケ。
来週は月一展覧会。作りながら表現をしていくのだけどまだ手が動かない。
うーむ、どうなることやら。
ゆったりと、感じたおとに気持ちを預けてみよう。
雨のおと
いつも、気の向くままにやってくる。
気まぐれな君。
いつも、私を惑わせる。
愉しげな君。
雨のおとに、おもい体を傾けながら、
雨のおとに、足並みを揃える。
いつもの傘と、私を一人にする。
雨のおとに、色づきはじめる。
冷たさに包まれて、そっと寄り添えたら。
いつもの、君に。
快晴のよっちゃん祭
土日にあった津屋崎千軒「よっちゃん祭(さい)」に行きました。
地域の人が主催となり津屋崎千軒という地域で開催するお祭りです。
今年は子ども山笠が走りました(夏には迫力ある津屋崎山笠があります)。
主な出店は地元の人たちで、手作り雑貨やごはん、スイーツ、くじ引きやゲームなどたくさんあり、紙芝居や歌隊、昔のおもちゃがあったりして一緒に楽しめる仕掛けもあり、かなり盛大です。
お祭りに寄ってくれた人が、ゆっくりと楽しんでもらいたいという気持ちで20年(当初は作り酒蔵があったので新酒に寄ってんしゃいというテーマでしたが)続いています。
お祭り前には町の掃除から始めて、設営から撤収までやり遂げる地元の実行委員会のみなさんってほんと素晴らしい。協力する地域の力ってすごいなぁって思います。
そんなステキなお祭りの、ポスターやチラシをデザインをさせてもらい、ほんのつま先だけだけど関わらせてもらえたことが嬉しかった♪
また来年も楽しみです。
巣立つ彼女と
先日、津屋崎から巣立っていく彼女とランチ。
ボリュームたっぷりのバケットサンドをぱくつきながら、久しぶりにいろいろと話をした。
初めて親元離れて過ごした津屋崎の8ヶ月は、たくさんの価値観とたくさんの美しさに出合ったのだろうなー。津屋崎に限ったことではないけど、美しさが身近にある当たり前にある場所のひとつではある。
私自身は場所を固定しない方が好きなので、またこの先いろんな場所に出会えると思うとワクワクするなー、いいなー笑。
彼女はまだまだ若いし自由だ。というか、学生だ。
だから、津屋崎は一つの通過点であってもいいのかもしれないなぁ。
津屋崎をもって、この先を見据えて、前に進んで欲しいと願う。
なので、あえて巣立つと書いている。
まぁ、これは私の勝手な考えであって彼女に求めないし、期待も抱かない。
ただ、素直に、この先を見守るという気持ちでいる。
出会いや別れの春になりましたね。
写真撮ってて違和感あるなぁ、と思ったらティースプーンの持ち手が逆じゃん。
作法とか詳しくないんだけど、お箸やお茶碗と汁椀の置き方とか気になるのです…変なところに細かい私。
それを思うとカットケーキの向きも逆なのでは、と…どうなんやろ…。
またね、東京。
4年ぶりの東京。
住んでた頃に比べると、以前に比べると、すっかり方向感覚をなくしている自分にショックを受けつつも、まぁでもどうにかなるもんだ。
東京は、こんなにごみごみして埃っぽいく乾燥してたかなぁ、と思うと同時に、自分の体が地方で浄化されたように思う。
でも、嫌悪感でなく、それが東京なんだよなぁ。
たくさんの情報や人に溢れているけど、たくさんの展覧会やイベント、映画、技術やモノが集結しているのが、やっぱり羨ましい。
更に、それらを訪れやすい、それらに触れやすい環境と利便性の高さは、
やはり、日本では、東京なのだ。と思う。
実物に出会えるワクワク感。受動的なワクワク感。
美味しいパニーニと珈琲と、渋谷で、
津屋崎と自分と友人のこれからと、何となくのことを話したモーニング。
住んでいたという懐かしさは、もう薄れてしまった。たくさんの刺激の渦に、自分を見つめることができる。凛と立っていようと思う。
もう住むことはないけど、また足を運ぶ機会を増やしていきたいな。
バイバイ、またね。