デザインのおと

自然のおと、くらしのおと、感じること、表現すること。津屋崎という場所。

風のおと、波のおと、草花がゆれるおと、くらしのおと…津屋崎という土地で感じています。
感じたおとを表現すると、どういうかたちになるんだろう。
ゆるりと少しづつ始めていきます。

秋月に行ってきました

残った生クリーム消費のためバナナマフィンを焼く。

なかしましほさんのレシピで作るマフィンは、私好みのもそもそ感のないしっとりマフィンです。

あぁ、食欲の秋が加速中…。そろそろ運動の秋にシフトせねば…。

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さて、朝倉市の秋月へ染色織物のアーティストである従姉を訪ねてきました。

従姉という関係ではあるものの、歳が離れている彼女の活動は思春期の頃の私に少なからず影響を与えたと思う。他に芸術系の親族は居なかったし。

国内外でファイバーアート展を開いてる彼女は、秋月にも縁があり数十年アートイベントをしていました。

今は、元博多織の工場だった建物で同じアーティストの作品を取り扱っているお店もしています。織物だったり、陶芸だったり、刺繍アクセサリーだったり…50人もの作家をサポートしています。

 

かつては城下町で栄えていた秋月。石垣の間を流れる川に面影を感じます。

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彼女のお店はメインストリートの反対側。

適度に人の気配があり路地で雑談する人たち、ゆるい感じの楽しげなお店も多くて、

そこに居るだけでなんだかほっこりする空気が流れています。

 

秋月の自然に空気に癒やされる。

ゆっくり時間をとってまた来るね。

 

海のほとり「玉乃井」

津屋崎千軒には古い建築物が残っていて、その1つが築100年を越えた木造旅館の玉乃井。

今は旅館としての運営はしてないのですが、

海のほとり「玉乃井」として在り続けています。

喫茶があり、海を臨みながら糸島から届くスモールバレーのタルトと珈琲などを楽しめます。

オフィスやアトリエとしてシェアも出来ます。セカンドオフィス/アトリエとしての利用も良いかもしれません。

 

そんな玉乃井のショップカードのデザインをしました。

玉乃井、喫茶玉乃井、シェアオフィス/アトリエの紹介です。

2つ折りリーフレット+折り込みカード(ポストカードサイズ)

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レトロという一言で現せないタイムスリップしたような玉乃井の雰囲気を、レトロ印刷の2/1色刷りで苦戦しつつ仕上げました。

試行錯誤する時間を相談を聞いてくれ温かく見守ってくれました…優しさがありがたい。

しかし、本当に自分の技量と知識不足さを思い知らされました…まだまだ途上…良き経験でした。

 

狭い路地の片隅にある玉乃井は「入って大丈夫かな…」という雰囲気はあるけど笑

今とは違う時が流れていると感じる貴重な建物だな、と思います。

 

▼サイトはこちら

http://www.tamanoi.life

 

 

呼吸するおと

ゆっくりと、おおきく息を吸い込む

 

嬉しいこと

悲しいこと

笑ったこと

怒ったこと

 

いろんな感情を、大きく吸い込む

 

そして、

ゆっくりと、息を吐く

 

それらの感情の役割が終わる

 

一日の終わりに、一日の始まりに、

大きくゆっくり呼吸する

 

自分と向き合うおと

 

心が整うおと

 

だいじょうぶ、のおと

 

 

写真家・山内悠さんの森のギャラリートークショー

週末は、耶馬溪のバルンバルンの森で開催されている「anthocyanの森」というイベントに行ってきました。

参加した写真家・山内悠さんの「いま此処にある」トークショーについて、私が心に残った話を、解釈が少し違うかもしれないけど、書いていこうと思います。

まとまるかな…

 

山内悠さんは、富士山で5ヶ月も開けてある山小屋(通常2ヶ月だそう)にスタッフとして滞在しながら、何年も地上3,000メートルの雲の上からみる写真を撮られています。

富士山から外を見ると、大きな雲の隙間から、東京という街の明かりが見える。

富士山から内をみると、壮大な山の斜面から、残っている雪やでこぼこした岩が見える。

そして、そこに太陽が昇る。

東北の震災があって「夜明け」という写真集をたくさんの人にみてもらいたい。そう思うようになり、そのため、自分が写真を撮り続けている意味に疑問をもちながらも、その意味を伝えるために各地で写真展の巡業しているそうです。

 

私が一番印象に残っている話は、〝生(せい)〟について。

命が生まれる時には、いろんな出会いや偶然が重なって、この新しい命が生まれるけれど、それらは元々つながっているんだと想い、生命の根底は〝光〟だと思う。

微粒子があって、そこから派生していく光のそれぞれが命。

と、話されていました。

 

また、山開き前の雪に埋もれた山小屋の雪かきから始まる、過酷な富士山での生活を何年も経験し、下山して東京の新宿でネガをもらう時に自分の存在に気づくのです。

自分は地球という宇宙にある大きな惑星の「此処にある」と。

 

それから、あるきっかけがあり屋久島の森の中に滞在して写真を撮り続けことになります。

夜の森をヘッドライトを付けて歩き続けると、自分は森に〝恐怖〟を感じ、その〝恐怖〟を切り出しているんだと言います。

 

そして、自分が住む長野県の八ヶ岳の山奥で、「チェーンソーの刃に指を入れたら切れるってわかってるけど、ふと入れてみたくなる時があるんだよね」と近所のおじさんが言った言葉は、今の世の中〝生〟を感じることが少なくて、だから、アメリカのトランプ氏やフィリピンのドュテルテ氏、安部首相もそうかも、のように、世界は刺激を求めているのではないかな…と。

 

私は、山内悠さんが、一年の約半分は富士山、数ヶ月は屋久島の森、そして住み家である八ヶ岳の山奥という場所で、〝生〟というものに気づき、自分がそこにあるという感覚を求め写真を撮り続けているんじゃないかな…と感じました。違うかもしれないけど。

 

トークショーの終盤では、最近モンゴルの遊牧民のくらしや思考に出合い、彼らを撮り続けているという話も興味深かったのですが、私はイレギュラー案件があり退室することになり、どう締めくくられたかを知ることもできなくて、どういう話が続いたのかも気になります。

その後も山内悠さんに会うこともなく、バルンバルンの森を後にしてしまったことが、私の心に少ししこりを残しています。

 

光を〝生〟と感じ、山での経験で〝命〟を感じ生きている山内悠さんは、

新宿で感じた、いま自分が此処にあるという感覚と向き合い続けているのかな…

 

うーん、でも、イベント自体が始まったときに山内悠さんと気付かず(失礼w)雑談したのですが、あのひょうひょうとした雰囲気からは何も読み取れなかったし

「そんな深読みしてたんやー?難しいやつやなー、わっはは!」と、

笑い飛ばされそうですが…笑

 

問えなかった分、写真で感じとれるといいかもしれないな…

 

記憶をたどって書いているので、想いの受け止め方が違うところもあると思うけど、〝生〟の感じ方や写真を撮る意味を問いながら、写真家としてあり続けている話の中で、私自身、自分の見方を考える機会を得た気がします。

感じ方ってひとそれぞれでおもしろいな。

 

山内悠さんは関西弁でひょうひょうとした雰囲気があるんだけど、

写真のことを話すスピードや写真への想いは、夜の森にとても似合っているなぁと思いました。

 

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森を歩くおと

君が落ち葉を踏んでいく

 

森は大きくて、大きくて

君のおとを吸い込んでいく

 

鳥のおと

虫のおと

木の葉のおと

風のおと

それらは、とても優しく静かに歌っている

揺れる木々からは、柔らかなおとが降ってくる

 

君を歓迎しているのかな

 

森は薄暗いけれど、君は、ゆっくりと、どんどんと、進んでいく

君のおとに、転がる木の実のおとが重なっていく

 

森の先には何が見えるのだろうか

君は何を見ているのだろうか

 

大きな森は

君のおとを受け止めてくれている

 

 

古い時計のおと

ぼーん、ぼーん、と木製の時計が鳴る。

古い時計のおと

 

せわしく動く秒針のおとでさえ、なぜか懐かしく温かい気持ちになる

 

世の中は同じ速度で時間が流れているはずなのに

その古い時計のおとは、

自分の速度でゆったりと着実におとを刻んでいく

せかされることなく、時がゆったりと流れていく

 

やさしいそのおとは、その場を優しく見守っていく

 

ゆったりと…ゆったりと…

 

私は、古い時計のおとに、せかせかしていた気持ちを流していく

 

 

アラスカに想いを馳せる

何気なく入ったブックキューブリックで、

何気なく手に取った本。

長い旅の途上星野道夫

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この本の言葉選びは、星野道夫さんの優しさ、雄大さ、暖かさ…

そういうぬくもりを感じる。

大自然やそこに住む動物、人のくらしが丁寧に書かれてあり、文章にするから整えている感覚はなく、人柄の良さが言葉に表れているように思う。実際そうだと思う。

 

それまで星野道夫さんを知らなかったし、アラスカも興味はあったものの「行ってみたい!」とまでは思ってなかった。

だけど、

この本を読んでからアラスカに行きたくてウズウズ(影響され過ぎw)

でも、

以前だったら、「よし、行くぞ!」って行っちゃうんだけど、

今は、アラスカへの想いを手元に残しておきたくて、もうしばらく温めておきたくて、すぐに行くぞとはならない。

想い続けている時間を楽しみたい。

何だかそんな気分。